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名古屋地方裁判所 昭和30年(行)16号 判決

原告 近藤重太郎

被告 名古屋北労働基準監督署長

主文

本件訴を却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

「申立」

原告訴訟代理人は

「被告が昭和三十年六月二十九日付名北監発第三五九号を以てなした重大なる過失と認め難き旨の決定は之を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、

被告指定代理人は本案前として「本件訴を却下する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決、本案として「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

「主張」

原告訴訟代理人はその請求原因として、

原告は、肉類、コロツケ等の食品販売を業とするもので、その営業上の労務者として、昭和二十九年七月末訴外森田武雄を肉類販売店員の経験熟練者として雇入れ、爾来同人は原告の営業場所である名古屋市中村区中村町七丁目七十四番地豊国市場内に住込み稼働中のところ、昭和三十年三月十七日午后一時頃前記営業所において備付のミンチローラー機を操作し、蒸馬鈴薯を輓く作業を行い、概ねその作業を終り、ミンチローラー機の投入口附近に附着している薯の除去作業をするに際し、電動装置を停止することなく漫然と右手を用いてその作業をなし、回転する螺状刃部附近に手を挿入した為、右螺状刃部により右手示、中、環及小指の四本とも掌指関節部位より切断し、労働基準法に示す身体障害等級七級五号に該当する障害を残すに至つた。

右ミンチローラーの構造は別紙見取図の如き構造大きさのもので、投入口より肉類、蒸馬鈴薯を投入すると回転部の螺状刃の回転により逐次吸込み粉砕され、特に圧下の要なく自然に圧出する構造のもので、右回転部はギヤー変速装置により1/2馬力モーターに連結され、モーターのスイツチは作業者の身近にあり作業者自ら自由に操作できる構造のものである。かゝる機械の操作に当つては、機械の構造、機能を十分熟知した上で、これによつて、生ずる事あるべき危険―特に螺状刃部による危険―に対し常に細心の注意を払い危害を未然に防止すべき義務があり殊に本件の如く、既に薯を輓く作業を終り、残留薯の除去作業にあたつては、機械の構造上、残留薯は螺状刃部に相当量あり投入口附近に附着するのは少量であるから、当然毎回機械を分解の上除去清掃をなすべきであり仮に投入口附近に附着した残留薯を除去するにしても、当然電動装置を停止した上でなすべきであり、火急のやむを得ない場合としても手を用いることなく木片等によつて之をなし以て螺状刃部による危害の発生を防止する義務があり、右森田武雄としても右機械の取扱いは、数年の経験を有し、機械の構造、機能は熟知しており、投入口内に露出した回転する螺状刃部に手のような軟体を近づける時は瞬時にして吸込まれ粉砕されるものである事を十分承知しているはずである。それにもかゝわらず、前記注意義務を怠り何等火急の場合ではないのに電動装置を停止せず螺状刃部を回転させたまゝ、友人と雑談を交しながら漫然自己の右手を用いて投入口附近に附着していた残留薯を除去しようとした為、右螺状刃部にくい込まれ、前記の如き重傷を受けるに至つたのであつて、これはまさに本人の重大な過失に基くものであるといわねばならない。

然るに原告は森田から労働基準法第七十七条による障害補償として金十二、三万円の支払の要求をうけた。そこで原告は同法第七十八条により、森田武雄の受傷は「労働者の重大な過失に基くものである」旨の認定を受くべく昭和三十年六月二十一日所轄労働基準監督署長なる被告宛にその旨申請したところ、被告は同月二十九日名北監発第三五九号を以て森田の重大な過失と認め難い旨の決定を受けた。然し原告としては、右決定に承服し難いのでその取消を求めるため本訴に及ぶ、と述べ

被告の本案前の答弁に対し労働基準監督署長が労働者に重大な過失ありと認定すれば使用者は障害補償を免れるし、労働者に重大な過失なしと認定すれば使用者はその補償の支払を一応義務づけられ、これに違反するときは労働基準法第百十九条の罰則により、起訴され裁判される可能性があり、それ自体使用者にとつて重大な利害関係をもつているから、使用者たる原告は被告の右決定の取消を求める法律上の利益があると述べた。

被告指定代理人は本案前の答弁として

原告は昭和三十年六月二十一日労働基準法第七十八条により、森田武雄の業務上の負傷は「労働者の重大な過失による。」旨の認定を被告に対し申立てたが、被告はその申立を却下したので本訴を提起し、その却下決定の取消を求めるのであるが、被告の本件処分は原告の具体的な権利義務に対し何等法律上の効果を及ぼすものではないのであるから、抗告訴訟の対象となる行政処分ではない。即ち労働基準法第七十八条による行政庁の認定(認定申請の却下をも含む)は使用者、労働者間の災害補償に関する法律関係を簡易迅速に決定するため、労働者の重過失の有無を一応確認するに止まり、使用者の補償義務の存否又は使用者に対する補償義務違反の罰則の適用の有無につき法律上の影響を及ぼすべき何等の効力をも有するものではない。使用者が労働者の業務上の障害に付、障害補償義務を免れ得るか否かは専ら労働者の重過失の有無のみによつて決せられ、行政庁たる被告の認定によつて決するものではない。それは使用者、労働者間の民事訴訟により裁判所によつて終局的に決定されるもので、行政庁の認定は何等民事裁判所を拘束するものではない。民事裁判所が労働者に重過失ありと認定した場合には、被告の障害補償義務の存在は否定されることとなり、逆に民事裁判所が労働者に重過失がないと認定した場合は、たとえ被告の本件処分が取消されても原告は障害補償を免れないことになる。従つて原告としては労働者森田武雄を被告として障害補償義務不存在確認の訴を提起すれば十分であり、被告の本件処分の取消を請求する必要はない。又行政庁が重過失の認定を拒否した場合、使用者が補償義務を履行しないときは同法第百十九条により、同法第七十六、第七十七条違反として起訴されるおそれがあることは否定出来ないが、右罰則の適用の有無は専ら刑事裁判所の認定によつて終局的に決定されるのであつて、行政庁の認定はこの場合にも何等刑事裁判所を拘束しない。この点からも、原告は本件処分の取消を請求する必要がない。

以上のように被告の本件重過失認定を拒否した決定は抗告訴訟の対象となるべき行政処分ではないから原告の本件訴は不適法として当然却下さるべきであると述べ、

本案の答弁として

原告が精肉販売業を営み、その営業場所たる中村区中村町七ノ六豊国市場内において訴外森田武雄を被用者として雇入れ、使用していたところ、右森田が昭和三十年三月二十七日右営業所において作業中過つて右手指をミンチローラー機に喰込まれ原告主張の如き身体障害を残すに至つたことは認める。

なる程ミンチローラーは原告主張の様な構造、設備、機能を有しており、従つてこれを操作し、その残留薯の除去に当る者としては、原告主張の如き注意義務を負い、これに対し万全の注意を払えばかかる事故の発生を防止し得たもので、いわば森田に或程度の過失はあつたであろうが、労働基準法にいわゆる重過失とは故意にも比すべき重大な過失を云うのであつて、右森田の場合は仕事の能率を上げる為平素殆ど素手によつて操作し、過去何年にもわたり事故もなかつたので、平素の注意を払いながら肉薯等の投入口の清掃をなしていたところ、遂に螺状刃部に指を喰込まれ、本件の如き重大な事故を招来するに至つたもので、これを以て直ちに故意に比すべき重大な過失と断ずることは出来ない。よつて原告の前記申請を却下した被告の決定は正当であつて何等違法はないからこれが取消を求める原告の請求は失当である。

と述べた。

「証拠」〈省略〉

理由

原告の本訴請求の要旨は、訴外森田武雄が原告方にその営業上の被用者として雇われているうち、昭和三十年三月十七日ミンチローラー機によつて右手、示、中、環、小指の四本をその掌指関節部より切断し、労働基準法に示す身体障害等級七級五号に該当する障害を残すに至り、昭和三十年六月原告から被告に対し右森田武雄の受傷は同人の「重大な過失に基く旨」の認定を申請したところ、被告は昭和三十年六月二十九日附を以て、森田武雄の重大な過失と認め難い旨の決定をなしたので、原告は右決定の取消を求めるというのである。そこで右被告の決定が取消又は変更を求める抗告訴訟の対象となり得るかどうかについて判断する。

労働基準法第七十八条、同法施行規則第四十一条は使用者が労働者の業務上の負傷に対する補償義務(同法第七十七条)を免れるためには労働者の負傷がその重大な過失に基くものであり、且それについて行政官庁(労働基準監督署長)の認定を得なければならない旨規定しており、一見右基準監督署長の認定が使用者の障害補償義務を免れるために必要な要件のようにみられるが、当裁判所はこれを消極に解する。けだし、同法第七十七条と第七十八条とを対照するに同法第七十七条は、原則的に、使用者の障害補償義務を規定し、同法第七十八条はその例外として労働者に重大な過失がある場合に右補償義務を免責される旨定めたものと解すべきであるからである。

しからば同法第七十八条所定の行政官庁の認定というのはいかなる意義を有するかというに、それは結局障害補償が特に迅速に行われなければならないことに鑑み、その免責事由の有無について使用者、労働者間に争があるときは一応監督署長が公的な権威を以てその有無を確認し、これを以て当事者に対し紛争の迅速な解決、特に使用者の補償義務の履行を促し、罰則の適用とも相待つて障害補償の実行を期さんとする趣旨のもので、通常の権利関係の争の如く、その判定を通常長期間を要する民事訴訟にまつことを以て足れりとせず、むしろこれを避け、訴訟以前に紛争を迅速に解決処理しようとするいわば公的な斡旋もしくは勧告的性質を有するにすぎないものと解するを相当とする。それ故にこそ、同法の規定上においても行政官庁の右認定は抗告訴訟による取消を予定しているとみられるものが存しないのである。

叙上のことは罰則の適用(検察官による起訴においても、刑事裁判による処罰においてもについても)同様であり、同法第百十九条は使用者に同法第七十七条の障害補償義務があるにかかわらず、これを履行しない場合に右罰則が適用されることを規定したもので同法第七十八条の監督署長による免責事由の認定の有無と直接には関係がないと考えるべきである。

もしこれを反対に解するなれば客観的には労働者に重過失があるにかかわらず、監督署長がその認定を拒否した場合に、その一事のために使用者が補償を行わないと直ちに右罰則の適用をうけるがごとききわめて不当な結果となるからである。

これを要するに労働基準監督署長の前記認定(実質的には申請の却下決定)はすでに説明したとおり単なる斡旋ないしは勧告にすぎないものであり結局被告の義務に何等実体的法律効果を及ぼすものではなく、従て抗告訴訟の対象となるべき行政処分に該当しないというべきである。

よつて、これが取消を求める原告の本訴請求はその余の点について判断するまでもなく、不適法として却下すべく、民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 白木伸 榊原正毅 渡辺卓哉)

(別紙省略)

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